日本の仏教は?

ในห้อง 'ทวีป เอเซีย' ตั้งกระทู้โดย รัตน์พิมล, 4 มีนาคม 2007.

  1. รัตน์พิมล

    รัตน์พิมล เป็นที่รู้จักกันดี

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    8 มกราคม 2006
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    <TABLE cellSpacing=0 cellPadding=0 width=550 border=0><TBODY><TR><TD width=15 background=img015.gif height=12><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD><TD background=img015.gif><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD><TD width=37 background=img015.gif height=12>
    <TABLE><TBODY></TBODY></TABLE>​
    [​IMG]
    </TD><TD width=42 height=12><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD></TR><TR><TD><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD><TD vAlign=top background=img016.gif><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD><TD vAlign=top background=img016.gif height=128>先の項でも書きましたが、シッタルダは王舎城(ラジギール)と言う所で、アラ ート仙・ウッダカから何事にも執着しない事や、『無念夢想』の境地を教わりま したが、悟りを開く事はできませんでした。
    そこで真の悟りを求めてやがて『ブッダガヤ』(仏陀伽耶)にたどり着きます。
    シッタルダはここで苦行(くぎょう)の数々を試みますが、体を苦しめるだけで は悟りを開く事ができないことを理解したのです。
    </TD></TR></TBODY></TABLE>

    <TABLE cellSpacing=0 cellPadding=0 width=550 border=0><TBODY><TR><TD vAlign=top background=img016.gif><TABLE><TBODY></TBODY></TABLE></TD><TD vAlign=top background=img016.gif>悟りを開くまでシッタルダはナイラジャー河(尼連禅河)に行き沐浴(もくよく)して身を清めな がら菩提樹(ピッパラ)の木のしたで座禅(ざぜん)を組み瞑想(めいそう)にはいりました。
    当時、この地の村長の娘スタージャから牛乳で作った『おかゆ』の施し(ほど こし)を毎日受けていたと言われています。
    シッタルダはやがて35歳で悟りを開く事になりました。
    これを降魔成道(ごうまじょうどう)と言い、これ以降悟りを開いた者として『釈 迦』と呼ぶようになります。

    </SPAN>悟りを開いた釈迦は当初は説法(せっぽう)を行ないませんでした。
    それは真理が難しくて一般の人々には理解できないと考えたからでした。
    先に、カピラ城を出家する時に力となって助けてくれた梵天(ぼんてん)は釈 迦に再三説法を行うように薦め、その後釈迦も説法を始める事を決意するの でした。
    これを梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と言います。
    釈迦はサルナート(鹿野苑)の地で初めての説法を行なうのですが、これを初 転輪(しょてんほうりん)と言います。(トップP初転法輪像)
    その後出家して初めて修行のため訪れた王舎城(ラジギール)郊外の竹林 精舎(ちくりんしょうじゃ)や舎衛城・祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、サヘトマヘト と言う)等で説法を続けました。
    釈迦は釈迦を生んで7日目で亡くなった母のマヤ(麻耶)婦人に悟りを開いた 法(真理)を説くために天上界にいる母のに行き、母にその真理を説いたあと 下界に戻るのですが、その戻った場所がサンカシャー(三道宝階下)に遺跡 として残されています。


    </TD></TR></TBODY></TABLE>
    入滅(にゅうめつ)まで
    入滅(にゅうめつ)前の釈迦は当時のリッチャビ王朝の国であるバッジ国首都
    バイシャリで最後の雨期を過ごしていました。
    ここは釈迦が涅槃(ねはん)の旅の途中、貴賎貧富(きせんひんぷ)の別なく 平等に法を説かれた物語『アンバパリーの供養』、阿難尊者(あなんそんじ ゃ)への『入滅の予言』をされたところです。
    ここから最期の涅槃の地であるクシナガラに移りますが、釈迦は80歳で沙羅 双樹の下で頭を北にし、右脇腹を下にして両足を重ね涅槃(ねはん)に就か れました。
    亡骸はアンガラチャイチャの地で荼毘(だび)に付され、遺骨である※1仏舎 利(ぶっしゃり)は釈迦の教えに帰依(きえ)した各国の王に分骨されました。
    現在、クシナガラにはマハバリニルバー※2スツーパとお寺があり、お寺のお 堂内には大きな釈迦の涅槃像が横たわっています。
    ※1)仏舎利とは釈迦の火葬された遺骨での事を言います。
     

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    แก้ไขครั้งล่าสุด: 4 มีนาคม 2007

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